てくてく東海道オフ

2018.05.31

第12回東海道踏破オフ (小田原~箱根湯本)その2

前記事の続き

国道一号線であまりつまらない道をてくてくと。

上方見附跡

ここから斜め右方向に入っていくといくらか旧東海道らしい道になりました。

この建物、目をひいたので撮ったけどなんだっけ?覚えてない

板橋地蔵尊

外から手をあわせて通過。

踏切を渡って

風祭の一里塚跡を探すも見つからない。見落としたらしい

一里塚を見ないと悔しい!

車は来ないし、木陰でほっと一息つける旧東海道

紹太寺

稲葉家二代政則が父正勝と祖母の春日局の菩提を弔うために建立したという。

ここはいつかじっくりと見たい!果たしてそのいつかは来るのか?


先を急ぐ私たちはとにかくてくてくと。

ここからが意外と遠く感じました。

そしてやっと三枚橋でゴール!

この箱根の記事につながるというわけ。そして三島まで東海道はコンプリート。

〆はこれだよね。のどがからっからでした。

この日はなんだかんだ2万歩超え。昔に比べたらかなり脚力がついてきたような気がします。10キロなら歩けるね~なんて感じになりましたよ。

さて、次からは桜桃さんに完全なる踏破を目指していただき、私は東海道つまみ食いのいいとこどりで参加できたらよいなと考えています。

本当は私もコンプリートしたいけれど、この先どんどん遠くなって泊まり旅に老親のいる身としてはなかなか難しいのです。

とはいえ、お江戸仲間と歩くのは本当に楽しい!これからもよろしくお願いいたします。

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2018.05.30

第12回東海道踏破オフ(小田原〜箱根湯本)その1

今までブログを書くのは楽しくて何処かへ出かけるとさっさと書き上げていたのに最近はどうも苦痛になってきました。

パソコンが思うように動かないので、スマホで書いているのだけど老眼もあって億劫になっています。

とはいえ、記録しておかないと本当に忘れそうなので書くことに。
5月20日、東海道を歩いてきました。
夫に「小田原から箱根湯本まで歩いてくる」と言ったら「あれ、この間静岡まで歩いたんじゃないのか?また戻るのか?」と聞かれて「穴を埋めに行く」と。夫も「は?」みたいな顔をしていました

というわけで、三島までは東海道踏破を目指していたので東海道踏破オフと今回またタイトルを戻しておきます。
前置き長すぎたね

小田原駅に11時集合。箱根湯本を目指します。
せっかくだから小田原城も寄り道。
この日は湿度はなくて快適なものの、雲ひとつない青空でカンカン照り。日差しが眩しい!

小田原城までの道に


ひゅうが屋敷跡

江戸時代末期には約14軒の藩士の住まいがあったと書いてありました。


大規模なリニューアルをして美しくなった小田原城

小田原城についての歴史はコチラが詳しいです。


甲冑やお姫様の格好をさせてくれるらしく、そんな格好をして歩いている人を見かけました。

天守閣へ登りました。
石垣からの高さは27.2mで全国7位の高さだそうです。
天守閣へ登るまでの各階に展示室があり、小田原城の歴史や発掘品などが展示されていて時間が許せばじっくりと見たかったです。

真鶴、伊豆半島が見渡せ


箱根の山も見えて、天守閣からの眺めは最高!

小田原城を後にして食事処のお蕎麦屋さん「橋本」へ。


ここではちょっとした注文トラブルがあったけど、無事にみんな食事にありつけました。
私は鯵丼と蕎麦のセット。蕎麦より鯵が美味しく感じました。

腹ごしらえして、さぁ東海道!、少しショートカットしてしまったけど

この道をまっすぐいきます。

一本裏道に入ると

小田原蒲鉾発祥のお店だって。


明治天皇本町行在所跡

このあたりに本陣があったと思われます。

つづく

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2018.05.18

第11回東海道いいとこどりオフ その3

前記事からの続き

東静岡駅でバスから降りた私たちはまた東海道を歩きはじめました。

駅から富士山が見えました。なんて贅沢なんでしょう。

さあ、江尻宿から府中宿に向かってGO!

この日も風が強くて向かい風に向かってひたすら歩く。


延命地蔵尊

久能山東照宮道の標石

下伝馬本陣脇本陣跡

伝馬町には本陣2軒、脇本陣2軒、問屋場があり、十返舎一九は一時伝馬町に住んでいたとのこと。

静岡駅近くになってくるとさすが人が多く繁華街になってきました。

なんという店か忘れましたが、安くて新鮮な海鮮丼を食べて満足!


駿府城公園到着

駿府城は家康が秀忠に家督を譲った後の大御所時代の居城です。

復元された東御門巽櫓、坤(ひつじさる)櫓を見学しました。

紅葉山庭園も素晴らしかったです。

公園内はお花見している人たちもいて、広々としていて歩いていて気持ちよかったです。

この後静岡駅に戻り、みんなで無事に旅行を終えられたことに乾杯♪

新幹線で帰りました。

すぐに書かないとだめですね。どんどん記憶が薄れて内容が回を追うごとにどんどん薄くなってしまいました

でも本当に楽しくて美味しくて充実した1泊2日でした。ご一緒してくださった皆様どうもありがとうございました。

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2018.05.13

第11回東海道いいとこどりオフ その2

前回の記事のi続きです。

由比宿から興津宿まで薩田峠を越えて歩いてきました。



見づらい案内板ですが、いまだに続いている旅籠屋さんも。

本陣跡

清見寺を目指して歩いていたら、地元のおじちゃんに呼び止められました。
滝があるから見ていきなさいよと。
案内してくれました。
踏切を渡っていくと・・・


こんなところに滝が!不思議ー。
波切不動尊がこの滝の上にあるのですがそこまでは寄り道する時間がないのでお礼を言って清見寺へと向かいました。

清見寺


やはり踏切を跨いで。歴史ある立派なお寺でした。
徳川家康も今川氏の人質の時にこちらの住職に教育を受けました。

坐漁荘

明治の元老・西園寺公望の別荘です。昔はここから三保の松原も見渡せたらしい。

延命地蔵尊

名残りの松


一里塚と共に東海道を歩くと必ずありますね。

細井の松原跡

元禄時代には二百六本の松並木があったそうな。その横には無縁さんの碑がありました。

この後一里塚跡を探すも見つからなくて、腹は減るわ風も冷たく寒くてであきらめて清水のビジネスホテルへと急ぎました。

夜はホテル近くの居酒屋さんで宴会!

ほたるいかの刺身が新鮮で美味しかった~!

この日の歩数は26057歩。

翌日4月8日
この日は朝から快晴!

日本平へと時間節約でタクシーを使って向かいました。
日本平からロープウェイを使い久能山東照宮へ。
さすが立派です。





家康さんのお墓は今でこそ日光東照宮ですが、最初は御遺命によってこちらに葬られたのです。

家康さんの手形もありました。身長は私と同じくらいで小さいけど、手は私より大きかったです。

さて、ここから富士山が見えると勘違いしていた私達。東照宮からは富士山が見えずがっかりしてもう一度ロープウェイで日本平に戻ることに。



やはり日本平からの眺めは最高!
スルーしなくて良かった!

日本平からバスに乗り東静岡駅へ。つづく

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2018.04.18

第11回東海道いいとこどりオフ(薩埵峠越え)その1

4月7〜8日とお泊りオフをしてきました。

気づかれたでしょうか?今回から東海道踏破というタイトルを変えました。
忠実に東海道踏破ではなく、いいとこ取りという逃げを作りたかった(^^;)
約1名踏破を諦めてないけど

さてさて、今回は薩埵峠で富士山が見たい!というのが一番の目的で、由比から清水まで歩き清水に泊まり翌日静岡まで歩くスケジュールでした。

天気予報で土曜日の雨マークがなかなかとれずやきもきさせられました。金曜日の雨が早めにあがってくれて助かりました。

まずは由比駅集合。
私は東海道線で2時間かけて到着。
新幹線組のみんなと無事合流して由比駅出発。だいたい11時頃だったかな。


昔ながらの東海道が残っていていい感じです


名主小池邸を見学。お庭には水琴窟もありました。武田氏にも仕えたという旧家です。
受付のおばちゃん、もしかしたら子孫の方?が親切な方でこの先薩埵峠を越すと食べるところがないし、由比の桜えびは美味しいから薩埵峠の手前の倉沢屋で食べていくといいと教えてくれました。

ということで、倉沢屋がそんなに待たずに入れるようなら食べようということになりました。30分程で入れるというので並ぶことに。

待ち時間に八坂神社(本当は中峯神社に行くつもりが間違えた)へ。

今回の旅の安全を代表しておまいりしてきましたよ。

くらくらするほど高い位置にあって手すりを握りしめる手にも力が入るけど、前を行くTOKIKOさんはあっという間にするする上っていっちゃった。

倉沢屋さんでの昼食


桜エビ尽くし!かき揚げはサクサク!生桜エビも美味しかった!そこの土地のものを食べるっていいですよね。
もうここで旅の半分の目的は終わったかのような気分になりました。


本陣跡



間の宿脇本陣柏屋跡を過ぎて一里塚


日本橋より40里目

私達は所々端折って歩いているので、まだこんなに歩いてはいないが

ここから上り坂になっていきます。


後ろを振り返るとミカン畑と富士山が。

少しどんよりはしているけれど、富士山が見えて坂道もなんのその、テンション上がります。
箱根の峠超えに比べて楽チンで景色も良くて楽しい♪

薩埵峠キターー



広重さんが描いた薩埵峠

 

この峠の道を安全に通行できるようになったのは、安政の大地震で海岸が隆起してからだといいます。
それまで東海道は崖の下の波打ち際で波の周期に合わせて一気に通り抜け、その際親子でもお互いに思いやる余裕がなかったために「親知らず子知らず」と言われ東海道随一の難所と言われました。

今は峠越えというよりハイキングといった感じで辛くなかったです。それでも興津に近づくころには足が疲れてスーパーではるみみかんを食べてビタミン補給♪甘くておいしかった!

昔の旅人は人足さんを使って渡ったであろう興津川を、私たちは現代の橋を渡り先へと急ぎます。

興津駅近くのケーキ屋さんで30分ほど休憩(ここのシュークリームがまた絶品)してから興津の一里塚を通過

日本橋より41里目

一里塚を見つけるともう4キロ歩いたのか~とか、まだ4キロなの~とか目安になるのは江戸人も同じ思いだったに違いない。

ちなみに由比から興津まで東海道線だと一駅5分で到着するんですよ。

なんだってわざわざ峠まで越えてこんな苦労して歩いてんの?って話はなしで宜しく

つづく)

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2018.03.10

第10回東海道踏破オフ(二宮〜小田原)その2

昼を食べて腹ごしらえしたあとまた歩き出します。のんき亭を出ると上り坂になりますが、腹ごしらえした後なので元気です。

JR国府津駅を過ぎて歩道橋を上って見ると

左手向こうにみえるのは西湘バイパス。
そして、右手にはうっすらと富士山が。

この日はお天気だったけど春霞でそれまで見えていなかったので、富士山を見つけて一気にテンションがあがりました。

東海道名残の松?

小八幡の一里塚跡
日本橋から19里目

ロウバイも咲いていましたよ。


たぶんこのあたりが本陣跡

酒匂橋を渡ります。

江戸時代は防衛上架橋も渡し船も幕府が許さなかったので徒歩で酒匂川を渡ったそうな。

橋を渡ってから道を間違えてまた戻る形に・・・

なんだっけ、この橋?名前を忘れてしまいましたが確か昔のままの姿ということで
写真に撮ったはず

新田義貞の首塚があるというので探してみましたが、探したりなかったみたいで説明書しか見つからず…

義貞が越前で敗死して、家臣が首を故郷に持ち帰る途中でその家臣も病死して共に埋葬されたらしい。

山王神社


小田原に着陣した家康は日々参詣したんですと。


そして小田原江戸口見附跡に到着


この後東海道から右に曲がり小田原駅へ向かいました。
今回はそんなに高低差もなかったので楽に感じました。歩きやすい気候でさくさくと歩けて少し自信をもった三婆でした^^

とはいえ、2万歩超えてるからそれなりに疲れましたよ

次はすっとばして薩田峠を歩く予定。

楽しく歩けるといいな。どうぞよろしくお願いいたします。

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2018.03.02

第10回東海道踏破オフ(二宮〜小田原)その1

平昌オリンピックで感動しているうちにあっという間に3月になりました。

しばらく間があいてしまいましたが2月11日に東海道を歩いてきました。

記憶が薄れないうちに記録しておかねば!

ずっと寒い日が続いていたのですが、この日はポカポカ陽気。日差しが眩しく帽子を持ってくれば良かったと後悔しました。

二宮駅に11時過ぎ集合。今回は三婆のみの参加。ひたすら歩きます。




三代将軍家光も立ち寄ったという藤巻寺


境内には二宮町重要文化財の梵鐘があります。立派な藤棚がありました。咲いてる時に見てみたいが、それだけのためにはもう来ないなと思う…

一里塚を見ると日本橋から歩いたなという実感がわきます。日本橋から18里目だって。72キロきたということね。

国道1号線と合流するあたりに道祖神。

このあたりに茶屋本陣があったらしいのだけど、見つかりませんでした。



お!相模湾の海が見えてきた~。テンションがあがります。



一号線の私たちが歩いている反対側に車坂の説明書きが。渡れないのであきらめる。

源実朝、太田道灌、阿仏尼が車坂で詠んだ歌が紹介されているらしい。

昔は洪水で渡れないときもあったらしい。


このあたりは男女双代道祖神が残っています。

国府津駅近くまで来てのんき亭で昼にしました。

アジの刺身定食。美味しかった!

つづく

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2017.09.21

第9回東海道踏破オフ その2

前記事からのつづき

旧島崎藤村邸があるということで寄り道しました。

東海道からちょっと一本横道に入っていくと、とても静かで確かに執筆活動するのに良い環境です。

終の棲家として藤村はここで最期の2年半を過ごしたそうです。とても風通しの良いお住まいでした。いいなぁ。晩年こういうところに住みたいわ~。


上方見附跡

松並木が続きます

わざわざ歩道橋に上って見てみました。東海道っぽくていいね~。

伊藤博文公滄浪閣の碑

初代総理大臣の伊藤博文がここに屋敷を建ててから大磯に別荘を建てるのが流行ったとか。

道祖神

城山公園に寄り道しました。

元三井財閥本家の別荘地で、今は大磯郷土資料館と公園になっています。

城山っていうくらいだから、ちょっとした山なんです。高台で見晴らしのいいことったら、もう。さすが、三井財閥ですね!お屋敷が残されていないのが残念!

この後、旧吉田茂邸にも寄り道しました。平成21年に出火して全焼してしまった邸ですが、再建され今年の4月から一般公開されるようになったのです。

調べてみたらどうやら原因は漏電だったとか。漏電怖いですねー。

それはそれは素晴らしいお宅でしたが、新築だからまだ白木で年月を感じる重みが感じられず残念

国府本郷の一里塚跡

塩梅の名残り

古来この地では製塩が行われていたそうです。

そしてゴール地点の二宮駅へと。16時過ぎ到着。

駅前には戦争の悲惨さを伝える映画にもなった「ガラスのうさぎ」像がありました。

二宮駅付近でお茶しようと思ったけれど、喫茶店もなくコンビニの喫茶コーナーで一休みしてきました。

東海道線で大磯~二宮間はたった5分なんですけどね。私たちは4時間近く歩いたかな?

次は二宮から小田原までいきますよ。いけるのか??次回もよろしくお願いいたします。

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2017.09.14

第9回東海道踏破オフ(大磯〜二宮)その1

10日の日曜日、東海道歩きをしてきました。今回は大磯から二宮まで。
短いと言うなかれ。寄り道をあちこちしてきました。

前回、私は家の事情で欠席してしまったので久しぶりの参加でした。
大磯駅11時集合!下りなのに、電車が混んでいてびっくり。

しかも東海道線が遅れて時間より出発が遅れてしまいました。この先どんどん遠くなるわけだからこういう電車の遅延トラブルが多くなりそう


大磯は湘南発祥の地なんですって。その割に駅周辺は寂れた感がありました。


延台寺

虎御石と虎御前供養塔があります。

虎御石についてはこちらに詳しく載っています。虎御石まつりというのも開かれているようです。

北組問屋場跡


小島本陣跡

建坪が246坪あったとか。



薄くて見えないよ~。

小島本陣のほかに石井本陣、尾上本陣もありました。

南組問屋場跡

高札場跡

鴫立庵

日本三大俳諧道場のひとつです。俳諧に適した場所だと思う!

ここから海岸におりて大磯の海を見てきました。

お天気だったから海も空も綺麗~!

しかし、この日は30度を超えてマジ暑かった





このあとランチする場所を探すも東海道沿いって意外とない

カレー屋さんを見つけて入りました。

古民家を利用した素敵なところで大正解。

私が食べた季節の野菜カレーはスパイシーで美味しかったです。

つづく

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2017.05.23

第7回東海道踏破オフ(藤沢~茅ヶ崎)

前記事からのつづき

日本橋より13里目。悲しいかな、何も残ってない

それらしく松並木が少し続いていました。

1670年建立の庚申供養塔は藤沢指定重要文化財です。

半分以上歩いたので、『かごの屋』でお昼を食べることにしました。 昼からグラスビールも飲んじゃった

お昼を食べてしばらく歩くと茅ヶ崎市に入りました。ゴールは近い!

東海道の松並木碑

茅ヶ崎の松並木は安藤広重の東海道五十三次の絵にも描かれています。


茅ヶ崎の一里塚跡

日本橋より14里目。

さて、ここからせっかく茅ヶ崎に来たんですもの、海を見たい!ってことで東海道から外れて、寄り道。海岸まで歩くことにしました。

これが意外と遠かった。

『サザンビーチカフェ』のテラス席で海の風を感じながらお茶しました。

瓶で出てくるのね~。お洒落です。




烏帽子岩が見えます。

海を撮る3人の女たち。絵になるぅ~。

このあと、また駅まで歩いて電車に乗って帰りました。電車だと藤沢~茅ヶ崎間は10分もかからない距離

私は30分で帰れる距離なんだけど、みなさんだんだん遠くなってきました。

この先どうするんだ?東海道+αで楽しんでいるのでなかなか京都までたどり着けないけど、この先ものんびりいきましょ。ダメ?

今回もおつきあいくださった皆様、どうもありがとうございました。

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