弟54回お江戸オフ その1(中野坂上〜新宿)
9月に入り残暑が厳しくなるかと思いきや、雨の日が続き、大雨により関東各地に大きな被害をもたらしました。特に鬼怒川氾濫で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
ようやく安定したお天気になったシルバーウイーク、もう終盤ですがいかがお過ごしですか?
12日土曜日は朝大きめな地震があったのですが、お江戸オフを決行いたしました。
実は次回は一大イベントお江戸オフがありまして、それを55回のごろの良いものにしたいとの目論見がありましたんですよ^^;
青空で暑かったとはいえ、7月末の時のオフとは違って日陰では気持ちの良い秋の風が吹いていました。
Tompeiさん企画のコース
前回のオフはあまりに猛暑でショートカットしてしまったのでそのリベンジです。
3時半に中野坂上駅集合→宝仙寺→白玉稲荷→宝仙寺三重塔跡→中野象小屋跡→成願寺→中本一稲荷→淀橋→成子天神→淀橋浄水場碑、策の井→18時〜新宿エルタワー三間堂にて宴会
歩きからご一緒してくださったのはくっきもさん、TOKIKOさん、Tompeiさん、私の4人。宴会からくっきもさんと入れ替わり陶片木さんが加わりました。
宝仙寺に行くつもりが最初に見つけた白玉稲荷
もとは宝仙寺境内にありましたが、明治維新後の神仏分離の際に、ここに分社され、以後この地であがめられてきました。
宝仙寺
宝仙寺は、寛治年間(1087~94)源義家によって創建されたと伝えられ、江戸時代には数多くの末寺を擁した中本寺格の寺院でした。境内には(株)丸井元会長の青井忠治氏により建立寄贈された宝仙寺大師堂があり、赤塚不二男さんなど著名人の大型葬に利用されています。
石臼を供養しているという珍しい石臼塚もありました。
立派なお寺ですが、鬼瓦が可愛かった!
法仙寺三重塔跡碑
山手通りを挟んで向こう側の第十中学校の側に碑がありました。昔はここにあったんですね。法仙寺の敷地が相当広かったということになるのでしょう。
中野象小屋跡
公園の一角に説明書きが残っているのみですが。
中野に象がいたなんてね〜。
中野の象は、享保13年(1728)中国人貿易商鄭大威がベトナムから連れて来ました。京都で中御門天皇と霊元法王の謁見を受け、江戸で将軍吉宗が上覧した後、しばらく浜御殿に飼われ、後にこの像を下げ渡された中野村の源助は、成願寺近くに象小屋を建てて飼育を続けました。寛保2年(1742)に病死した後、皮は幕府に献上され、牙一対は源助に与えられました。この牙は、宝仙寺に保存され、戦災にあいました。
成願寺
開基である鈴木九郎は紀州出身で室町時代に当地にやってきた商人でした。商売が成功し、財を成し「中野長者」と呼ばれ、成願寺付近に邸宅を構えていましたが、小笹という一人娘が18歳で病死し、九郎に深い悲しみを与え、これを機に残りの人生を仏門に生きる決意をし、小田原の大雄山最乗寺の春屋宗能の教えを受け名を正蓮に改め僧侶となり、邸宅を寺院にしたということです。
とても立派なお寺で鍋島家のお墓もあります。
つづく
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