第53回お江戸オフ その2
前記事のつづき
六角堂をようやく見つけました。
バイオリンを奏でる娘さんがいましたよ。レッスンの邪魔にならないように、と言いながらも苦労して見つけたので写真をバシバシとる私達^^;
で、ここが何かっていうと要するにここに淀橋浄水場があり、この六角堂付近で浄水場見学をしたり説明を受けたり休憩をとっていたということになります。
江戸時代玉川上水がひかれ、時は変わって明治になり首都が東京に移され、発展する都市に不可欠な近代水道の建設が急務となり、ここ淀橋に玉川上水によって導かれた多摩川の水を沈殿・濾過し200万人の市民に供給したわけです。
その淀橋浄水場は以後、明治、大正、昭和と東京の歴史とともに歩み続け昭和40年東村山浄水場にバトンを渡し、給水開始以来60数年の歴史を閉じ、その跡地は、新しい東京の象徴ともいうべき超高層ビルの街に生まれ変わりました。
新宿の歴史はすさまじく変化していったわけだけど水の整備は本当に大事!ここに浄水場があったからこその発展ということを忘れてはいけませんね。
淀橋浄水場のもう一つの遺品である淀橋浄水場跡の碑もこの後回る予定だったのですが、歩き回っても見つけることが出来ずに残念でした。涼しかったらもっと頑張れたのだけど・・・
成子地蔵
享保12年(1727年)勝厭という道心者が、回国巡礼を終えた帰路に建てたものといわれています。もとは四尺九寸(約148.5cm)の石像でしたが、第二次世界大戦の戦災に遭い、新たに建てられました。
由来については、子煩悩な父親がわが子を誤って殺してしまった末、自殺を遂げたという哀れな伝説も残されています。
成子天神社
延喜3年(903年)の創建であるといわれ、祭神は菅原道真です。建久8年(1197年)に源頼朝が社殿を造営したといわれていますが、詳しいことは不明です。寛文元年(1661年)に現在地に移転し、柏木・成子地区の鎮守となりました。
社殿のわきに新宿区指定文化財の7個の『力石』があります。秋の大祭には村の若者たちが力くらべをしたといいます。石には重さと持ち上げたと思われる人の名前が刻まれています。
新しい社殿になっていましたが、とても落ち着くいい感じの神社でした。
この記事を書くのに調べたら奥の方に富士塚もあったようです。見落としたわ〜。
ともかく5時半過ぎていたというのに何コレのあの信じられない暑さ!メンバー一同ふーふー言っていました。
この後、淀橋浄水場跡の碑、家康ゆかりの策の井も見つけられず時間切れで宴会場へと。
小田急ハルクの地下にある『ミュンヘン』http://http://www.sapporobeer.jp/gourmet/0000005051/へ。
乾杯~♪
喉がかわいたせいもあるけど、ホント美味しいビールでした。
皆熱中症にならずに良かったね!
またよろしくお願い致します。
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