昨日は良いお天気に恵まれた中、お江戸オフをしてきました。
当初予定していたのは南千住から千住大橋まで歩くというものでしたが、時間が余ったため、北千住まで歩くことができました。
昼間ご一緒してくださった皆様
Tompeiさん、桜桃さん、TOKIKOさん、アリスさん、陶片木さん、ゆれいさん、途中合流くっきもさん。
今回のコース
JR南千住駅13時集合→小塚原回向院→延命寺(小塚原刑場跡)→ 浄閑寺→ 永久寺(目黄不動)→休憩→公春院→真正寺→ 円通寺→ すさのお神社→ 荒川ふるさと文化館→熊野神社 →千住大橋 →大橋公園 →橋戸稲荷 →千住宿歴史プチテラス→やっちゃ場跡→橘井堂医院跡→本陣跡→JR北千住駅 →上野の宴会場所18時より「土古里」
まず、千住という土地について。
千住は寛永2年(1625)に日光(奥州)街道の初宿と定められて参勤交代ばかりでなく日光東照宮への往還でも賑わった場所でした。また芭蕉「奥の細道」の歩き始めの場所でもありました。
これから私達が向かうのは小塚原刑場跡です。
この人通りの多いところに刑場を作ったのは鈴が森刑場同様、みせしめにするという意味もあったのでしょう。
昨日はすさのお神社の天王祭とちょうどぶつかったため、賑やかでこの祭りのお囃子にかなり救われましたが、回向院と延命寺界隈は非常に空気が重たく、気温が高かったのにかかわらず寒気がしました。
そんなわけで今回写真はちょっと角度を変えて撮ったり看板だけ取ったりしています。
回向院
両国の回向院の別院として創られました。刑死者は解剖にも使われたんですね。
入り口に、あの戦後最大誘拐事件の犠牲になった吉展ちゃんの慰霊地蔵尊が立っていました。
回向院の中の墓地は左右二つに分かれていて一般人のお墓には立ち入らないようにと但し書きが。向かって右側にいわゆる歴史上の人物、橋本左内、吉田松陰のお墓、ねずみ小僧のお墓がありました。ちなみにねずみ小僧のお墓は両国にもあり、あちらの方が明るい雰囲気だった気がします
延命寺(小塚原刑場跡)
首切り地蔵が目に飛び込んできて、怖いっ。遠くからおそるおそる写してみました。
刑死者を弔うお寺の名前が延命寺とは、なんとも皮肉な名前です。
説明書きが塀に貼ってありまして・・・「(刑死者の)埋葬とは名のみであって、土中に浅く穴を掘り、その上にうすく土をかけおく丈であったから雨水に洗われて手肢の土中より露れでること決して珍しくなくとくに暑中の頃は臭気粉々として鼻をつき、野犬やいたちなどが死体を喰い残月に嘯く様は、この世ながらの修羅場であった 」
220余年の間に埋葬された屍体は20余万だそうです。
もしかしたら、今自分が歩いてきた場所、いや今立っている場所にも・・・と想像してしまって・・・

ご冥福をお祈りいたします。
江戸の二大刑場についての詳しく書かれているサイトを見つけたので、ご興味のある方は
こちらでどうぞ
浄閑寺
安政の大地震で沢山の吉原の遊女が亡くなってこの寺に投げ込んだことから投げ込み寺といわれています。ここも空気が重たい・・・
墓地の中にはこの近辺をこよなく愛した永井荷風の碑もあるらしいのですが、どうも足がすくんで入れず・・・探せませんでした。
永久寺
江戸五色不動(目赤、目白、目黒、目青、目黄)のひとつといわれる目黄不動が祀られています。こじんまりとしたお寺さんでした。お不動さんはほっとします。
一同すっかり重たい空気を背負ってしまったので、マックでしばし休憩。
鍼灸マッサージお勉強中のアリスさんに肩をもみほぐしてもらい、気持ちよかった~

顔の皺を伸ばすマッサージの講習も受け、盛り上がりました^^
円通寺
ここは明治維新の折上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員をこの寺の仏磨和尚が葬り供養したということで、上野寛永寺の黒門が明治四十年十月帝室博物館より下賜されました。
ちょうどここに荒川区の歴史ボランティアの方がいらして、詳しく説明してくださいました 。
彰義隊の隊員はほとんどが鉄砲玉に当たって亡くなり、ちょうど黒門の向こう側が墓地になっています。写真をクリックすると鉄砲玉の痕がはっきりわかるかと思います。
源義家が奥州を鎮定する時に討ちとった48人の首を寺域内に埋めて塚を築いたとされる首塚もあり、その築いた塚からこのあたりを小塚原と呼ぶようになったとか・・・
(長くなるのでつづく)
最近のコメント